結婚生活に、「落第のはんこ」が押された。

今更、言うも可笑しいが、

何故あの時、

「嫌だな」と思ったのに、

我慢などしたのだろう。

 

女の私がシャシャリでて、

物言うことをためらったが為に、

最後まで、

「良き夫婦」として、

終わらなかった原因は、

お互いの意見を尊重し、

改善できなかったからである。

 

たまたま、

広い平屋の一軒家に、住んでいたから、

食事の時以外は、

他人のように、会うこともなく、

「マンションの部屋」を、

其々が、借りているような二人であった。

 

こういう状況になると、

夫婦であっても、手の打ちようが無い。

狭い部屋の中、

「否が応でも、顔つき合わせ」

何日も、物言わず、聞かず、

口を開けば、罵り合う。

 

お互い疲れてはて、いつのまにか、、

平常心に戻ることが、ある。

で、

日常は戻り、

喧嘩したり、仲良くなったりの関係が、

修復されて行く。

 

しかし、

「鍵が閉まったが如く」の、

部屋のドアは、開かずの間、

そうなると。

夫婦であっても。開けることならず、

夫婦関係は、

同じ家の中で、決裂する。

 

いつのまにか、

夫も、食事さえ作っておけば、

なにも、もとめず、

お互い、自由に暮らしだし、

別途の人生を、歩み出す、

 

夫が倒れ、

もはや救いがない状態になっても、

話題も、思い出もなく、

感謝の言葉もなく、天国に召された

 

最初に、

「言えなかった日」から、

ずーっと、

今言わなければ、他人のような関係に、

おわるだろうと、分かりながら、

別れを迎えてしまった。

 

一人ぼっちで、行ってしまった悲しみ、

一人ぼっちで、残された寂しさ、

半世紀を共にした、夫婦であったが、

決して、幸せとは言えない、

結婚生活に、

「落第のはんこ」がおされた。

 

子供達に「スプーン一杯の水」を、届ける為に

最近

「書いたブログ」が、よく消える。

消去を押せば、

消えるのは知っているが、

自分では記憶がない。

 

私のブログが、

音信不通になったので、

スマホの中」を、闇雲に探すが。

どこを押しても、痕跡すらでてこない。

 

やはり、

自分が創りあげたもの、

ボケた頭で、

考えだした、思考と言語、

「よっしゃ!公開!」で、

今日の記録は、

「私が死んでも」残るはずである。

 

指がどう動いたのか、

いらんことしたのか、

ほっとけばいいものを、

見直して、いるうちに、

「忽然と消える!」

 

数年経てば、

80歳を超える、婆さんが、

いらんことするからと、

いう人もいるが、

「こんなに便利なもの」

使わん手は無い。

 

エンディングノート」代わりに、

書き出した、「はてなブログ

相当な年数になり、

未だ、「遺書」にはならず、

元気で生きてる。

 

消えたブログの内容は、

もはや、無かったものにしても良いが、

私にしては、

久しぶりの人助けの話、

 

今、地球上で起こっている、

「悲惨な有事」に憤るが、

何にもできずに怒ってる。

戦闘で、

「若者達の命」が失われ、

「何万人の子供達」が、餓死して行く。

 

たとえ、

よその国のことであれ、

地球の裏側の話であれ、

「同じ地球人」の、問題である。

人ごとでは済まされず、

自分にできることを、考えることから、

始めなければならない。

 

「体力も無い、地力も無い」

婆さんに何が出来るかと、

逃げ腰だったけど、

「昔取った杵柄」

小さな部屋で始めてみよう、

「福祉の講義」

「プチケア アカデミー」を、

ワンコインで開催しよう!

 

ユニセフをとおして、

餓死寸前の子供達に、

「スプーン一杯の水」を、届ける為に!

ブログは消えたけど、

私の心の中の、

悲しみは消えないでいる。

 

 

 

 

 

 

 

蛇味線の音が、聞こえてくる

死ぬまでに、

一度だけ、

夜空に輝く「満天の星」を、

観に行きたいと、願っている。

 

なるべくなら、

空気の澄んだ田舎町が、

良いかなと、思っている。

 

もう、何十年も前ではあるが、

妹が住む、石垣島に行った時に、

連れていってもらった場所が、

忘れられないでいる。

 

「漆黒の闇の中」に、

月と、星が、

夜空に輝き、

電気ひとつない、場所であった。

 

「月の雫」と、

呼ばれる場所で、

「この世ではない」ような気がしたのを、

うっすらと、

脳裏に残っている。

 

遠くから、

誰かが弾く、蛇味線の音が、

聞こえてくる。

日本の最南端の大地に座り

「切なさと悲しみの時間」

私が辿って来た歴史が、

静かに降りてくる。

 

あの日から、

走り出した人生、

たどり着いた場所が「月の雫」

出来ることなら、

私の人生の最期は、

この美しい場所で、終わりにしたい。

 

 

 

「春の頭」を踏んづけて、冬から夏へ

いつのまに、

「半袖」を着るようになったか、

自分でも、覚えていない。

 

まるで、

「冬が居座って」いるかのように、

寒い寒いと、思っていたけど、

テレビからは、

熱中症」の、ニュースが報道されている。

 

「春の頭」を

踏んづけるように、

冬!から夏!に、なっていく。

 

「地球」も変容して、

「日本」も変容するでしょうと、

気象予報士も、

地質学者も、

大学教授も、

いきなり、

「手のひら」返すが如く、

後出しジャンケン

 

約、100年近く生きてきた、

高齢者は、

生き字引のような人間だけど、

「わたしゃ、こんなこと生まれて初めて!」

と、おっしゃる。

 

「100年に一度の周期」で、

地球も、歴史も、

変わるといわれているが、

私は、生きている間に、

変革してゆく地球を見れて、

良かったと思う。

 

生命体も、自然も、

「進化と進歩の中」を、生きてきたが、

アインシュタイン以降、

歴史的な科学者は、出現はしていない。

 

たしかに、

暮らしは変わり、

「不便なものは便利」になり、

生命体は、

「優れた頭脳と、肉体の持ち主」になった。

 

言うのも、古臭い呼び方ではあるが、

終戦直後」に、うまれた、

私達の年代は、

なかなか、「死なない」

80歳でも、90歳でも、

元気はつらつで、CMに登場!

 

脆弱な、若者達は、

密かに、心の中で思うのである。

「こっちが先にたおれそう!」

「日本の文化」は駆け抜けてみる物ではない。

地球の極東の、

「島国、日本🇯🇵」

ミサイルの音も、無人機の爆弾の音も

聞こえてはこない。

 

アウトバウンドから、

インバウンドに、

いつの間にか、「転換した日本」

 

「小さな国の小さな人間」が、

世界の大国に向けて、飛び立ち、

「エコノミックアニマル」とまで

呼ばれるほど、経済大国となった。

 

私たちの時代の、男達は、

「家庭も、恋人」も顧みず、

「企業戦士」と呼ばれて、

経済戦争に、身も心も投じた。

 

極東アジアの中では、

唯一、欧米に引けを取らない、

大金持ちの国、

敗戦国とは、思えないほどの国に、

返り咲いたのである。

 

いまや、

観光国と化した日本は、

何処にいっても、外国人の観光客が、

溢れている。

 

物価は安い、

文化は美しい、

民族は、おとなしく親切、

そんな観光国に、来ないわけはない。

 

かつては、

世界でも。優秀な製造業といわれた、

お堅い国が、

一瞬で、

「おおきに、毎度、おこしやす!」と、

笑顔で、迎え打つ、

観光国に、変身した。

 

欧米に行くと、

「人種のるつぼ」と、いわれるほど、

どの国に行っても、

外国人達が、我が国の如く暮らしていた。

 

唯一、

「難民を受け入れなかった日本」は、

極端に、

外国人が、少ない国であった。

現代でも、

「外国人に対する制度は厳しく」

多くの問題点は残っている、

 

外国人実習生や、

外国人労働者の、人達が、

日本の中で、

過酷な労働を強いられている。

 

反対に、

高級品を爆買いし、

高級なお料理に舌鼓を打ち、

高級ホテルで滞在している。

外国人の観光客が、溢れている

 

私達の時代からすれば、

「お金、お金、お金」と、

なってしまった日本の姿に、戸惑っている。

日本の文化は、

駆け抜けて、見る物ではない。

しずかに、じっくりと、

愛でて欲しいと、願っている。

 

 

 

 

「明るい春」を、確実に満喫している

騙し討ちのように、

近づいて来た春も、

いまでは、

「夏日に追われてる」

 

この時期、

本来は「三寒四温」で、

夜なると、慌てふためくが、

注意報は、

熱中症に、気をつけて!」

 

「なんなん!」

心迷わす、自然の気紛れに、

「半袖半ズボン」

「長袖長ズボン」

好き勝手に出掛けてる。

 

高校生の、

「立派な生足」を見ると、

逞しく、微笑ましい!

 

「寒いやん!」

「どうしょう!」

今にも雪が降らんばかりの、

冷たい風の中で、

「キャーキャー」と、叫んでいるが、

どっから見ても🌸色。

 

そんな高校生のそばを、

北海道から、

出て来たような、高齢者が、

背中を丸めて通ってる。

 

「若者も、老人も」、

思いはそれぞれあれども、

満開の桜の下を、

ピンクの花びらの、

シャワーを浴びながら、

「明るい春」を

確実に、満喫している。

 

 

「悲しみ」からの、脱出

「悲しみ」は、

果てしなく、続く、

歳を重ねるたびに、増えていく。

 

両手いっぱい、

抱えきれないほどの、

「悲しみの涙」で、身動きが取れない。

 

悲しみは、

捨てるわけにも、売るわけにもいかず、

ただ、

「悲しみを上回る喜び」が、くれば、

一瞬の幸せ感を、感じさせる、

 

悲しみの詰まった箱に、

追いやられる様に、

「喜び」が、散らばっている。

 

忘れられないほど、

貴方の心を傷付けて、

身体の一部になって、

ともに生きていくしかない程の、

「悲しみ」

 

思い出せば涙し、

時間が経っても、生々しく押し寄せる。

貴方を縛り付けている、

「悲しみの絆」は、どんなものかを知りたい。

 

大切だった人からの、

理不尽な言葉?

世の中の、不条理な差別?

誰も気づかないほどの、

小さな傷が、針のようにささってる?

 

本当は、

悲しみも、喜びもない、

「空っぽの心」が、カランコロンと、

音を立てている。

 

「悲しみからの脱出」など、

今更無理なら、

桜色した、シフォンのドレスで、

サクラ舞い散る、

夜空に、飛び出そう。

 

シンデレラみたいに、

約束された時間まで、

自由を満喫して、踊り明かそう、

貴方が忘れた、悲しみの片方の靴、

届けてくれる夢が、

「悲しみ」を、消してゆくときまで。