「大丈夫?」の優しさ

インタビューされている、

ヤングケアラーの女の子。

日常を問われて、

「大丈夫です」

「何とかなってきたから」

と、答えている。

 

親や兄弟姉妹が障がい者で、

幼い時から、

出来る事をして、役割分担は、

いつの間にか、決まっていた。

 

だから、

「大丈夫」ではなく、

一生懸命、「大丈夫」してきたはず。

そして、

「どうにかなった」ではなく、

人の倍、努力して「どうにかしてきた」はず。

 

「貴方がいたから、」

ここまで、これた事を知っている。

 

「衣、食、住、」の、

当たり前の暮らしは、

当たり前ではなかった事。

 

食事、排泄、入浴が、

困難な家族が一人でもいたら、

暮らしは、当たり前ではなかった事。

 

今日まで、今まで、

誰にも、助けてもらえず、

ここまで、生きてこれたのは、

「貴方の優しさ」しかないのです。

 

障がい者や、長く病気を患う、

家族がいる家庭には、

「大丈夫?」という言葉が、飛び交っている。

 

朝に、夜に、

「大丈夫?」の優しさに、

「ありがとう」と答える謙虚さが、

貴方を、立派に育ててゆく。

 

「行ってきまーす」

と、一人で出てゆく後ろ姿に、

涙している人もいたはずである。

 

家庭の中で、

辛さや悲しさを、乗り越えた人は、

社会の中でも、強く生きれるはずである。

 

貴方が誰かを支えたら、

その貴方を支える人に、

きっと、出会える。

 

世界中が、

そんな時代に、変容してゆく。

だから、きっと、「大丈夫」。

 

 

不言実行の政治家

世界中が、

コロナウイルスパンデミックになり、

政治家達の出番が、かなり増えた。

 

選挙の時だけは、

ニュースで良く見かけるが、

後は、何をしてるか、ようわからん。

 

改めて、

そこそこの立場にいる議員や大臣達が、

なんと、ニ代目、三代目の多い事。

お祖父さまやお父様ほどの偉業は、

難しいであろうとは察する、

おぼっちゃま達である。

 

しかし、

政治家の家系に生まれ、

幼き頃から、英才教育、

そこそこの学校を選び、

そこそこの血筋から、嫁を選び、

重い使命を帯びて、デビューする。

 

田中角栄中曽根康弘など、

政治家では、歴史的人物である。

今、渦中の河野さんなども、その一人で、

紆余曲折あった政治一家である。

 

日本は、

戦前の軍国主義から、

民主主義の政治体制になったはずである、

が、資本主義も、社会主義も、共産主義も、

共存して、

「これが日本の主義です!」

と、強くは打ち出してはいない。

 

自民党の安倍さんも、

憲法変えて、軍備備える!案も曖昧。

共産党も、強く反対もせず、

野党は、一致団結もせず、バラバラである。

右翼も左翼も、どっちもどっち!

 

よく言えば、リベラルな考えではあるが、

悪く言えば、事なかれ主義である。

自分の我欲と、守りに入り、

国会も開かず、ほったらかしである。

 

さっさと、法案決めて、

困窮している人たちに、

助成金や、給付金を決めて、実行あるのみ!

ワクチンが、命の補償なら、

経済の補償も、急いであげて欲しい。

 

今こそ、若い二代目が、

力を発揮するチャンスである。

選挙より、国会の扉を開けれる、

不言実行の政治家になって欲しい。

 

 

 

新しい年を迎える準備

百貨店やスーパーでは、

「おせち」の案内が、出始めている。

 

感染拡大がまだまだ、収まらない中、

「お祝い」も、「おめでとう」も、

憚られる。

 

何が起こっても、

月日はめぐり、年を超えてゆく。

激動の二年間、

命の大切さを知る期間であった。

 

家族が家族の事を、思い合い、

自分以外の他者の事に、気付かされ、

苦しみを分かち合う期間であった。

 

若い時には、死が間近にあることなど、

考えもしなかった若者達も、

少しずつ、心が動き出している。

 

入学すれば

大学に行くのが当たり前の学生達も、

通学もできず、

ギリギリのバイト生活も、絶たれたが、

大学が支援をし始めたと聞く。

 

女の子達の、生理用品までが買えないと、

この日本でありえない現実も、

行政が、手を差し伸べていると聞く。

 

完全ではないけれど、

完璧ではないけれど、

「大丈夫?」と、相手を気遣いながらの、

二年間であった。

 

一人の人の知恵ある行動が、

百人の人に広がってゆく、

「百匹の猿」現象が、起こり始めている。

 

ドクターでも、政治家でも、一般人でも、

立場や役目を越えて、

人を救うために、尽力する人は、

命の尊さを、知っている人であり、

慈愛の心が、備わっている人達である。

 

困っている誰かを、救うために、

年老いた私にも、何かひとつくらい、

まだ、出来る事がある。

 

新しい年を、コロナの中を、

再び、歩き出す音が、聞こえてくる。

 

 

戦争のない平和な日本

コロナ以前から、

たまに外食に、行くことがあった。

そろそろ、「食べたいなー」と、

懐かしく、思い出す。

 

もともと、

ワイワイガヤガヤのお店には行かず、

昔から、常連の人たちが通う店。

注文は、いつも同じメニューで、

味は変わらず、「美味しい!」のである。

 

暮らしの中の、

「衣、食、住」は、

人間の幸せ感を表す、バロメーター。

綺麗なブランドファッション、

高級な美味しい食事、

素敵なお家にインテリア、

 

人生、

そのために働いている人が、

ほとんどである。

「立って半畳、寝て一畳」の世界は、

もはや皆無である。

 

世界からは、

「兎小屋」と言われて、

蔑まれたけれど、いまや、

天高く、聳え立つタワマンがステータス。

 

IT企業のCEOか、芸能人、

若い女性の憧れの職種である。

嫁の座を頂ければ、

最高の「衣、食、住」は、

自動的に付いてくる。

 

しかし、

有名人は、「文春」に追われる程人気者、

ただの不倫も、炎上すれば人格否定。

社会悪のレッテルはられ、

追放される羽目にも陥る。

 

出会いもなければ、選ばれもしないけど、

普通の暮らしと、ただの人。

分相応のささやかな幸せでも、

最近は、

安くて、素敵な「衣、食、住」が、

手に入る。

 

世界には、国を追われ、

着る物もなく、

餓死寸前で、

家もない、

難民が、溢れている。

「衣、食、住」など、どこにもない。

 

コロナ禍の中でも、

日常は失われず、自由がある。

戦争のない、平和な日本に、

ただただ、改めて、感謝である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「誰がなっても一緒」ではない

今回の総裁選は、

何だか、いつもより騒がしい。

 

本来なら、

国民は蚊帳の外で、知らん間に決まる。

「へぇー、次はこの人かいな」

と、国民もあまり興味もなかった。

 

しかし、

今年は、「そうはいかん」

命の存続と、経済の立て直しが、

トップリーダーによって、

「こうも変わるか」を

否が応でも経験した国民。

 

総裁選の、結果いかんによっては、

党の存続すら危ういと、

今更気付いた政治家達は慌てだした。

 

今までのように、あてがいぶち、

我が利権のための、事勿れ主義は、

もはや、時代が変わり、通らない。

「誰がなっても、一緒!」

では、なくなった。

 

「ぼーっとしてんじゃねーよ!」

の、チコちゃんじゃないけれど、

日本を変えれるチケットは、

私たち国民の手の中にある。

 

総裁選で、晴れてトップに立ったとしても、

波乱を含んだ数ヶ月後の選挙の行方は、

誰にも、予測はつかないのである、

 

若い議員達の、不信感の波が起き、

国民の声なき声が、聞こえてくる。

江戸時代から続いてきた、

深い闇の政治の世界に、光が当たり、

新しい時代になる事を、願っている。

 

親方日の丸の恩恵

コロナによって、

倒産した企業は、前代未聞の数である。

それに伴い、職を無くした人達が、

路頭に迷っている。

はずであったが、

 

厚生労働省管轄の、ハローワークには、

そんな困窮者が、殺到している。

はずであったが、

 

どうも、そうでもないらしい。

今は、

コロナもあって、

労働者には手厚い支援があり、

国からのお達しもあり、

失業保険が、充分に支給される。

 

都合よく、

会社の方から首を切られた人もいて、

失業保険も、長く給付される、

その上、

就労支援の資格取得が無料であり、

講座、学校が選べ、寄宿舎まである。

 

人によっては、今が辞め時、

ラッキーな失業にもなった人もいる。

貰えるものは、ありがたく頂き、

ゆっくり休養して、スタートを切れる。

 

かたや、

倒産、閉店をした方の経営者は、

国からの、コロナ給付と支援金を申請、

全て受理。

 

従業員には、最後の給料を支払い、

仕入れ業者にも、最後の支払いをして、

裁判所に、倒産手続きを申し立てれば、

夜逃げをしない、正当な自己破産完了。

誰にも恨まれず、

次なるスタートを、考慮する。

 

コロナ禍の中で、パンデミックの中で、

大忙しは、公務員の人達。

昔から、

「役所仕事は、遅い!」

と、言われるほど、のんびり事業。

 

しかし、今は、

一分一秒、命との戦いである。

国からは、

「早い手続きを、早い処理を」

と、圧力がかかる。

「親方日の丸」の恩恵も、

コロナによって、倍返しの逆転作用。

 

人間長く生きていると、

良き事が悪しき事に変換、

楽な事が、苦労に変換することもある。

 

何が起こっても、甘受して、

粛々と、生きていくしかないのである。

終わりは、スタートである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私以外の人の為に

「女心と、秋の空」

と、昔は言われていたが、

今は、女性蔑視で、怒られる?

 

朝から、

カーテンを開ければ、爽やかな青空。

ウキウキしてると、

突如、「一点俄かにかき曇り」雨になる。

 

一応、女の端くれの私にも、

この傾向は、充分ある。

叫んだり、怒鳴ったりはしないが、

気に入らんと、貝のように口を閉ざす。

 

心許す相手だからこそ、

こんな態度は通用するし、

社会の中では、

損得勘定、人間関係が発生するので、

そこら辺は、コントロールが出来るのが、

女性の特権。

 

お金が貯まらず、我慢が溜まり、

許してくれる相手に、爆発する。

 

さりげなく、プレゼント、

思いがけず、レストラン、

それとも、四の五の言わず、

「ごめんなさい」とあやまれば、

穏やかな風が吹き、青空が見えてくる。

 

ジェンダーレスの時代になって、

男性は女性の心に、

女性は男性の心に、

近づけば、

相手を慮る心が育つ

 

コロナウイルスがもたらした、

世界を震撼したパンデミック

何が起こっても、

生きるために立ち向かっていく、

人間の姿。

 

それぞれが、

命と向き合い、命の大切さを知る為の、

期間であった。

 

当たり前が当たり前ではない、

誰のせいでもない憤りを経験し、

どん底から生まれてきた、

「切なる願い」

 

そして、

「私以外の人の為に」

我慢を重ねた、貴重な時間。

男性とか女性とかを、越えて、

人間として、ひとつになった瞬間が、

あった事を、忘れない。