人種差別は静かに感染する

「あの場所は、車に犬をぶつけて来るから、

通ったらあかん」

「あの家は、夜中、電気をつけて騒いでる」

今、そんな話を聞いても、多分、

「それがどないしたん?」

問題にもならない話である。

 

大人たちの会話には、私達子供は入れず、

黙って、聞かないふりして、聞いて来た。

親からも、先生からも、説明された覚えは無い

知らないうちに、あの場所やあの家には、

行ってはいけないんだと、頭の片隅に、

そっと置いていた。

 

大人達が秘密の話をするときは、

ヒソヒソと話すが、その眼だけは、

何故か活き活きとしていたのを、

物心ついた頃には、感じていた。

 

多分、私の中に、人種差別という言葉が、

入って来たのは、その頃だった様に思う。

同時に、今まで味わったことのない、

不愉快さを覚えたのである。

 

誰にも口頭で、教わったこともないのに、

小学生の頃、皆んなが一人の女の子を、

仲間外れにしていた。

例の場所で、お店を営んでいた家の子である。

 

私は、一人ぼっちの子に、声をかけた。

「遊ぼ!」

あの不愉快さを思い出し、たまらなく嫌だったから。

深い意味はわからなかったが、

暗黙の了解の様に、意地悪する子たちが、

その時から敵になった。

 

アメリカにも、ドイツにも、人種差別による、

悲劇が歴史の中に刻まれている。

私達人間のDNAに刻み込まれた差別を、

常に意識を持ち、変容していかねばならない。

 

コロナウイルスの様に、差別を、感染させては

いけないと思っている。