大正生まれの父は、96歳まで生きた。
子供は女の子が多かったので、
父に手向う者もいなかったので、
暴言はあるが、暴力はなかった。
「はよ、死んで!」
と、何度思ったことかわからない。
時代的には、女子供とひとまとめで、
人間扱いはされなかった。
膝の上に抱っこされたこともなければ、
叱り飛ばされる以外、会話などない。
「お父さんは嫌い!」
死んでからも、それは変わらないでいる。
父がリビングにいるなら、私達は子供部屋。
父が寝室に行けば、リビングに行く。
同じ屋根の下にいるのに、避けて通る。
「今日は学校はどうだった?」
など聞かれたことはないし、
四人の子供の学校すら知らなかった。
子供が失敗や、意に沿わない事をしたら、
「誰のおかげで、ご飯が食べれてるか、
考えよ!」
というので、「お母さん」と答えたかった。
人を人として認めようとしない暴君が、
私からすれば、虐待である。
存在そのものが、子供からすれば、
権力と支配。
「誰もぐれんと、よう育ったわ」
と、自分達で慰めあう。
でも、その血が半分はあるので、
どこかで、誰かを傷つけていることは、
確かである。