経歴を見ると、見慣れた言語が綴られている。
行かれていた学校も、芦屋生まれなら必然。
途中までは、私も似たような履歴であるが、
あちらは、末は大臣か、都知事。
えらい違いである。
家から最寄りの駅は、阪急芦屋川。
朝夕、狭いバス通りには、
ベンツ、ポルシェ、BMと、外車が並ぶ。
運転は、ブランドに身を包んだヤングママ。
子供たちの送り迎えの車である。
市バスの邪魔になろうが、どこ吹く風。
鳴らされているクラクションに知らん顔。
私が幼かった頃には、無かった場面である。
自家用車が、個人で持つ時代ではない。
母から、
「お豆腐買ってきて」
と、10円玉と、お鍋を渡される。
「芦屋のお嬢様に何さすのん!」など、
思いもせず、恥ずかしくもなく、
私は、一生懸命走って、お手伝いをした。
芦屋川で生湯を浸かり、芦屋浜で潮干狩り。
高級住宅地には程遠い街、いえ、村でした。
いつのまに、
「憧れの街、芦屋」
に、なったかは、定かではない。
昔の芦屋を知る私からすれば、
「芦屋生まれが、どうしたん!」
と、思ってしまう。
現在、男子の甲南高校がある場所は、
「ハゲ山」と言われて、
ぺんぺん草も生えない山で、
子供達の、絶好の遊び場。
山手町から、JR芦屋駅までは、
「泥棒横丁」を走り抜ければ7分で着く。
代も変わり、そんな芦屋を知ってる人達は、
どこかに消えて、表札が変わっている。
移り変わる時代の中で、
唯一、変わらないのは、
涼やかに流れる芦屋川と、
春になれば満開の花を咲かせる桜である。