被害者が加害者になる

「○○さんの息子さん、

お友達とお酒飲んだ帰り、

外人に絡まれて、バック取られたらしい」

「夜遅く、お酒なんか飲みにいくからよ」

と、言う人がいる。

 

「○○さんのお嬢さん、

痴漢にあったらしいよ」

「わりと派手な格好したはるからね。」

と、言う人がいる。

 

「○○さんの店、

コロナが出たから、店潰れたみたいよ」

「そんなん当然やわ!」

と、言う人もいる。

 

こうなると、誰が被害者で加害者か、

わからない話になってくる。

事情も経緯もあっての結果であるが、

時として、被害者が、心ない人達に、

嬲り殺されるような羽目に陥る。

 

ネット社会の中では、この問題は、

大きく取り上げられているが、

取締る法律が定かではない。

 

逆もあって、

上司が

「ちょっと痩せたん?」

と、言っただけで、

「セクハラされました」

と、本人が感じれば、セクハラになる。

 

先生が、

生徒が授業中、暴れてうるさいので、

「お前ら、今日は掃除当番や!」

と、言えば、パワハラにもなりかねん。

 

民主国家で、自由と権利は主張できるが、

ひとつ間違えば、冤罪が起こり、

社会から放り出される。

 

ある男性は、それが怖くて、

満員電車は乗らない。

女性と話すときは、ドアを開けっぱなし。

そして、目も見つめない。

と、徹底してる。

 

まあ、それくらいしててちょうどかなとも、

思う。

なぜなら、私も元女性の端くれ。

学生時代、学校の帰り道、

後ろから、同じ方向で歩いてきた男性を、

「痴漢かも?」

と、交番に駆け込んだこともある。

 

その人にしたら、近所のおっちゃんで、

後ろから歩いているだけで、

「犯人!」にさせられる。

鼻垂れ娘みたいなん、痴漢でも襲わんわ!

と、思っていたかも。

 

昨今は、思いつきで殺される時代である。

フェイクが、ファクトになり、

ファクトが、フェイクになる。

 

真実はそれぞれにあるが、

事実はひとつである。

日本人特有の集団意識に振り回されず、

見識を高めなくてはならない。