倒産のスイッチを押した経営者を、
結構、知っている。
男性にとっては、「腹詰める」位の、
一大事である。
会社も資産も家族まで失くす。
日本もバブリーな時代もあり、
小さな民間企業のおっちゃん達まで、
帯封ついた札束を持ち歩いていた。
そんな夢の様な話も、一瞬で吹き飛ばされて、
大暴落。
「実は、倒産しました」
と、あちこちで聞くようになり、
年月が経った頃には、
「何回目ですか?2、3回しても、
生きていくのは困らないでしょう」
と返すようになった。
何故なら、自己破産と言いながら、
家は立派やし、車はベンツやし、
何一つ変わらぬ暮らしを継続している様な、
当事者もいて、疑問すら覚えた。
昔から、倒産のスイッチは、軽々しく、
押すものではなく、押した後には、
けじめをつけるための、覚悟の自殺。
悲惨な結末もあった。
「お金で、死なんといて欲しい」
絶対命、と分かっていても、
絶望の淵から抜け出せない人達もいた。
数年前、
倒産された若い二代目社長に出会った。
その理由が、化学薬品も扱う工場で、
火事になれば、スプリンクラーが作動せず、
大炎上する原因が分かったからである。
「倒産のスイッチを、誰にも相談せず、
押しました」と言われた。
工場には、沢山の若い障害者達がいて、
もしものことがあれば、取り返しがつかず、
多分、悔やみきれないとの判断。
責任を取られ、全て、処理されたらしい。
数年後、二代目社長は、
国家のお仕事をされる専門家になられていた。
「実は、毒にもなる薬品を使う様な、
製造業が嫌で、倒産のスイッチは、
心の中では、押し続けていたんです」
と言われた。
この人にとっては、
倒産から新しい人生が始まったのである。