死への尊厳

三浦春馬さんという俳優さんが、

自殺されたというニュースが流れた。

私は、この人のドラマも映画も見た事はない。

 

どうみても、経済、名声、容姿端麗、

全てが揃っている様には見えるが、

何を失っていたのか、何が足らなかったのか、

知る由もないし、想像するのも失礼である。

 

いつの日か、人は、必ず、死んでゆきます。

誰しも、人生の中で、遅かれ早かれ、

死を、考える時はある。

私の様に高齢者になれば、

いつ死んでもおかしくない法則がある。

 

生まれた時からの法則を、自ら変えて、

決着をつけなければいけなかった、

苦悩と絶望。

 

誰にも救えなかった悲しみ。

止めることができなかった悔しさなど、

こちら側の、問題である。

死にゆく人から見れば、遠い存在。

 

私に与えられた生きる時間の中にも、

幾度も襲ってきた生きることへの恐怖。

問題は、常に突きつけられ、

私が私を許せなかったこと。

 

人間社会の中での小さなずれ。

海底のプレートが、徐々にずれていく様に、

いつの日か、大地震が起こる予感がある。

 

社会にそぐわない事、

人間関係が弱い事、

何度も、やり直す事、

生きる力が弱い事、

何が、悪いの?

どうして、いけないの?

そんな私が存在している事はおかしいですか?

 

地球上で、皆んなと同じ様に、

生老病死の枠組みの中で、

静かに、暮らしたいと願っているだけ。

 

貴方のすぐ側に、貴方の居場所はあったけど、

探し続けることを諦めた。

貴方の命の尊さは、貴方にしか決められない。

 

生きてさえいれば、

貴方の傷を、貴方が愛せる日が来るのです。

たとえ、命がなくなったとしても、

貴方の生きた証は、何処かで生きていると、

信じています。