有名な芸能人が、自殺すると、
メディアが、興味深い理由をつけたり、
周りの人達が、コメントを出す。
そして、必ず、
「お悩みの方は、精神科へ連絡を」
と、報道する。
精神科に行けば、死なないの?
行けるくらいなら、こうなってはいない。
多分、話せる人は、ドクターではない。
深い、真っ暗な井戸の中に、
救いの手を、差し出しても、
彼らが、その手を、握り返して来るかは、
疑問である。
「私で、よろしいですか?」
と、問いかけて、
彼らが、私を選んでくれたら、
魂に触れることができるのかも知れない。
病院や公的機関に、
「悩み相談」に行く話ではないと思う。
全てを話し、全てを受け止めてくれる人を、
探している。
「出逢えれば」と、
三千年待ち続けているのです。
すぐそばにいる、「この人ではない」事を、
見抜いてしまう。
決められていた「暗号」
約束されていた「合言葉」
を、耳をすませて聴いている。
唐突に、その人は、
目の前に現れる事を、知っている。
誰よりも、生きる為に出逢いたいと、
望んでいる。
誕生と言う入り口から、死という出口への
時空の中で、法則通りに進んでいく。
地図のない迷路を、一つずつクリアして、
一部の隙もないほど、駒を打ち込んでゆく。
その戦いの中で、
「もはや、ここまで」と、
誰に、何に、屈服するのか?
生きた証は、
お金でもなく、
名声でもなく、
地位でもない。
彼らにとっての、「貴方」に出会えたならば、
きっと、生きるという答にはなる。
魂性の高い世界は、真剣勝負。
薬や、ごまかしの技術では対応不能である。