怒りを受け止める

今でも、鮮明に思い出される。

国連で、未だ16歳の、

グレタ トゥーンベリさんが、

天に放った怒りのスピーチを。

 

彼女は

大人達を叱ったのでも、批判したのでもない。

こんなになった社会に、怒ったのである。

 

論理的に発言しなければならない場所で、

感情論を持ち込んだと、非難した人もいた。

 

その方々に問いたい。

今まで、何度も、温暖化対策に向けて、

科学者達が、エビデンスに基づき、

「これ以上温暖化が進めば、

10年後には、地球は、非常事態に陥る」

と、訴えてきた。

 

結論も出さず行動もしてこなかったのである。

「貴方方は、知っているはず」

と言われたローマ教皇も言われたように、

人は皆、どうすればいいのかを、

知っているが知らん顔をしているのである。

 

彼女の怒る姿を見て、叫ぶ言葉を聞いて、

私達は、どう感じたかである。

 

どちらかといえば、日本人は

「見ざる、聞かざる、言わざる」の国民、

人間として間違った行為に対して、

悪意に満ちた行動に対して、

「怒らなければならない」

 

未だ、幼い、言葉足らずの少女が、

精一杯、身体で表現した事を、

真摯に受け止めねばならない。

 

我が子が、理不尽なことに出会い、

泣き叫んでいたら、訴えてきたら、

私達は温かな腕の中で、抱きしめてきたはず。

 

そして、一緒に怒らなければならない。