私の相談業務

最近、私の仕事は、

「相談業務」らしい。

脚も腰も不自由になり、仕事は引き受けず、

のんびり年金暮らしを決めてはいたが、

簡単に言えば、ボランティア活動。

 

私のような、失敗人生の人間に、

「なんで?」

元専門職なので、専門的な事ならと、

話を聞くが、最後は悩み相談になる。

 

何故そうなったかの解釈を、

科学とスピリチャルの両面から紐解くので、

「占い師」みたいになってしまい、

女性は大喜び。

 

人生の一大事と、泣きの涙で始まるが、

「納得やわ!」と、笑って帰る。

納得するために相談に来たのではなく、

で、良き方向にどう行動するかである。

 

女性は、「喋ってなんぼ」

吐き出したら、解決したようになる。

生き死にの話も、

病気の話も、

夫の不倫の話も、

子供の引きこもりの話も、

お金の話以外は、消化できるらしい。

 

しかし、形状記憶のシャツのように、

帰ると、また、ストレスが戻るようである。

女性のストレスは、生理のようなもので、

誰にでもある。

 

依存的傾向もあるが、

戦争もなければ、テロリストもいない、

どぶで死んでる人もいなければ、

餓死する人も、ほとんどいない。

 

国が平和なので、

そのレベルの悩み事である。

飢えと死に直結している国を思えば、

個人的レベルで、生き方、思考を、

一瞬で変えれるなら、ほぼ解決出来る。

 

「次に来られる時、その長い髪を、

耳が見えるまで、切ってこれますか?」

と言うと、

皆、絶句する。

返事に困る。

 

自分の中の執着を断ち切れたら、

新しくスタートが出来る。

髪の毛くらい切ったって、また生えてくる。

「人生は、何も失わないのでやり直せる」

事がわかれば、

私の相談業務は無くなるはずである。