亡くなる1ヶ月くらい前まで、
母は、日記をつけていた。
娘時代から、1日も欠かさず、
書き続けてきた様である。
私がブログを飽きずに続けているのは、
どうも、母に似ているのかも知れない。
最後の数冊が遺品の中にあり、
姉が預かっていたらしい。
「読んでみる?」と、渡されたが、
しばらく読む事が出来なかったのである。
母とは13年ほどしか、付き合いはなく、
それも、幼い時なので、
実のところ、あまり知らないのである。
「優しい、お母ちゃん」
と言う、漠然としたイメージだけである。
毎朝、私の長い髪を三つ編みしてくれた事、
バレエのお稽古の送り迎えをしてくれた事、
そして、厳しい父に怒られて、
泣いていた母の姿しか、思い出さない。
四歳違いの姉は、
「いろんな話をしたよ」と言う。
私は、女親にしか話せない事などなく、
二人の秘密は、
残念ながら、ないのである。
一人前に、仕事ができる様になった頃、
誰かの小説を読むくらいのつもりで、
ページを開けたのである。
私が、読む事を躊躇った理由は、
「母が、最後の砦」
だったから、母の日記に書かれた真実を、
知るのが、怖かったから。
世の中で、
無条件で、私を愛してくれる人を亡くし、
誰からも、
受け入れて貰えず、理解もされずに、
生きてこれたのは、
「母の慈愛」に見守られていると、
勝手に、信じていたから。
母とは親子ではあったけど、
私は、何一つ積み上げてこなかった。
思い出も、温もりも、
私だけの妄想でしかなかったから。
母の日記は、パンドラーの箱、
勇気を持って、読み始め、
「母の中の、私を探した」
ページをはみ出すほどに書かれていたのは、
唯一の男の子である、「兄」の事ばかり。
成長した娘の姉との会話、
まだ小さかった妹の心配事、
など、書かれてはいたが、
抜け落ちたように、私の名前は無い。
ただ、最後の日記の中に、
一行だけ、私を見つけた。
「あの子は、何を考えているのか、
私には、分からない」
と、記されていた。
母の死んだ歳を、
とっくに超えた大人だったから、
「たった、13年間しかなかったもんね」
と、変に納得した自分がいた。
そして、私の中に、
「お母さんがいなくても、
どんなに苦しい時も、生きて来れたよ」
と、思っていた。
二人は、お互いを知らないまま、
別れてしまったけれど、
貴方が、私の母であることに、
感謝していることだけは、確かである。