「金は天下の回りもの」ではない

「所詮、お金よ!」

「やっぱり、お金!」

「最後は、お金!」

と、言ってた人達が、

 

最近、

「お金じゃ無いわ!命よね!」

と、言い出している。

コロナ以降、次々と起こる非常事態に、

いよいよ、身に迫ってきているのか?

 

お金があると、

地位も名誉も大切になり、

身動きが取れなくなり、

ついつい、物事に大胆にはなれず、

上下関係不自由で、

「ちょっと、待った!」

と、意見が言えない。

 

私なんかは、お金もないのに、

「宵越しのお金は持たないの」

と、嘯いてきたので、話にならない。

 

確かに、お金も使い道があり、

我欲を満たすには手っ取り早い。

「お金は愛まで買える」と、

とんでもない持論の人もいる。

 

まあ、価値観もあり、本人の自由である。

私は、

「お金は天下の回りもの」と信じていたので、

無くなれば、また増えると思い、

思い出作り、

人の支援、

美学を求めて、

使ってきたら、すっからかんになりました。

 

それでも、貧乏になっても懲りず、

お金に対して、重要度は低くて、

「幸せ感」は、別物で、

不幸せにはならないのである。

 

好きなものしか食べない、

好きな服しか着ない、

好きな事しかしませーん!

と、言うので、神様はお手上げ。

 

事に仕える仕事を与え、

それに対して、報いた報酬を与えて、

私の面倒を見てくださった。

 

「だから、私は神様の愛人です!」

と、ユーモアのつもりで言うと、

周りにいた人が、一人づつ、消えてゆく。

 

それくらいに、思ってると、

貧乏も苦にならないのである。