訳あって、自ら天涯孤独を選ばれ、
公正証書を作成した方の、
身元引き受け人を依頼されている。
永く、
私の元で、有資格者として学ばれ、
現在は、「国家公務員」となられた。
ある日、
「私にもしもの事があれば、
すべての延命治療をして下さい」
と、依頼された。
昨今、
「安楽死」の問題が取り沙汰され、
他国では、自らの死を受け入れ、
医療保険まで、完備されていると言う。
最後の呼吸の一瞬までも、
どれ程、肉体が動かなくなっても、
生きていたい。
誰でもが生きていたいと願う思いを、
否定してまで、死を選ばなくてはならない、
「安楽死」。
私の、「デス、エディケーション」の、
学びの中で、最も、壮絶で崇高な課題である。
多くの日本人は、
死を忌み嫌うものとして、蓋をしてきたが、
この令和の時代に入り、
死を外せない出来事に、遭遇している。
走馬灯の様に蘇る過去の贖罪、
知らぬ間に、
どれほどの人を傷つけて来たのか?
そして、傷ついて来たのか?
喜びと幸せの価値観を与えられたのか?
そして、与えて来たのか?
「悲しみを喜びに、
そして、感謝に変える」
事が、出来るまで生かして欲しい。
あれほどの傷を受けて、
死をも覚悟された人が、
言われた通りの茨の道を歩まれ、
勝ち得た実感である。
「決して、諦めないで!」
と、生徒達に言い続けて来た事を、
見事に、成就した人である。
延命治療の件は、
「貴方より、かなり年上の私が、
まだ生きていたら、約束するわ!」
と、笑って答えたのである。
私の学びの「死生学」の、原点でもある、
上智大学名誉教授の、
アルフォンス デーケン氏が
昨日、死去された。
キリスト教の司祭である方の哲学は、
信仰心のない私には、
死ぬまでわからないのかも知れない。
例え、間に合わなくても、
諦めずに、学び続けている私がいる。