人生の帳尻

改革を、高く、掲げている割には、

メンバーは「イエスマン

と言う事が、公務員の職場で、よく見る。

 

会議中、

既に通っている件案に対して、

「ちょっと待って?」

と、言い出す人がいる。

「早く終わって、ビールを呑みたーい!」

と、思ってる人からすれば、鬱陶しい。

 

物事を進め、成功するには、

反対意見は重要であると、

持論の私は、そう言うスタッフは歓迎である。

 

しかし、

彼らのような人達は、嫌われ、

密かに、抹殺されてゆく。

大企業には、第三者委員会や、

弁護士を置いているが、

明らかに、会社側と精通している。

 

指先で、弾くように飛ばされた人達は、

社会の理不尽に、人格が壊され、

自らの命を経つ。

「そんな会社、いつか天罰がくるわ!」

とも思うが、

歴史を振り返れば、善人が犠牲になる。

 

しかし、

邪悪は、必ず暴露される事がある。

また、胸に覚えのある人は、

死ぬまでに、のたうちまわる時が来る。

 

何故なら、

人間の一生の中で、死ぬまでに、

全てを体験する事は、決まっている。

見事なまでに、平等なのである。

 

多くの高齢者のターミナルと関わり、

何もかも、自分の思い通り生きた人には、

お目にかかった事がない。

 

若い頃から、

独立心は強く、誰をも頼らず、

生きてきたと自負してきたが、

足が不自由になり、

自由にあちこち出掛ける事も、

逃げ出す事も、ままならず。

 

誰かに世話になったり、迷惑をかける事が、

一番嫌いな私が、

「お願い」をしなくてはならなくなった。

「情けない有様」を、

傲慢な私は、日々味わっている。

 

これだけは、「勘弁してよ」と、

思っていた事が、

ゴール寸前に、必ず帳尻は合うのである。