ラストサムライを忍んで

独居老人の男性は、

誰にも看取られず、亡くなる場合がある。

 

最後まで、人間関係を維持できない為である。

たとえ、家族がいなくても、

地域と交流があったり、

趣味志向のコミュニティに参加していれば、

最悪、放置されることはない。

 

笑ってようが、怒ってようが、

人の話や説得を聴かないのである。

社会の中で、地位や名誉を手に入れた人も、

すべてを失い、彷徨うように生きて来たた人も

歩んできた道は違うのに、

最終章は、同じ道を辿るのである。

 

ある男性が言った言葉に、

「男は、常に戦いの連続、

何かを得ても、得た瞬間から戦いが始まる」

 

女性は、形ある物が、ステータスになる。

自分の力で勝ち得た物ではなく、

親や、夫から与えられたものも、

手の中に入れば、もはや自分事。

 

「うちの主人は、三菱商事で、

ニューヨークで、長く暮らしておりました」

「うちの息子は、ドイツに留学しております」

「うちの」がつくと、

もはや、自分事、自分自慢になる。

 

蜘蛛の糸のように、張り巡らされた、

関係性を保っている女性たちは、

老いても、困らないようになっている。

 

天を仰いで、

がむしゃらに戦って来た戦士は、

気がつけば、濡れ落ち葉といわれる。

使い果たした頭脳は壊れ、

試練を走り抜けた肉体は、ボロボロである。

 

「主人、昨日のことも覚えてないのよ!」

と、妻は、老老介護の同情を集める。

「お母さんに倒れられたら、もっと大変!」

と、子供達の勝手な言い分。

 

夫も父親も、

消えたわけではないのです。

目の前に、生きている。

歳を重ねていくうちに、

家族の顔すら忘れても、

城を守り抜いた、ラストサムライである。

 

たとえ、この人が死んだとしても、

この人の本当の事を、知っている人が、

死なない限り、生き続けているのです。

 

多くの高齢者と関わり続け、

私もまた高齢者になったけれど、

彼らの事を、

今もなお、懐かしく涙する事がある。

 

私が死ぬまでは、貴方は、

確かに生きていると言えるだろう。