人間の仕業

「疲れました」

テレビを、見ている事に。

 

ネット社会の中で、テレビは、

無用の長物になるかも知れない。

 

いつ、何が起こるかわからない事に、

不安で、消すことはできない。

せめて、音量を低くして、

画面だけを流している。

 

この一年で、

精神も肉体も、かなり疲弊し、

免疫力が低下しているのが、

自分でも、よく分かるのです。

 

血液検査のデーター的診断ではなく、

完全に、バランスを崩し、

コントロールが、非常に難しいのである。

 

コロナから始まり、

大雨被害、

大阪都構想

アメリカの大統領選

と、目眩く出来事が、否が応でも、

私達の目に、耳に入ってきます。

 

自分には、関係のない話ではなく、

他人事では済まされない現実に、

呼吸すら出来なくなるほど、苦しい。

 

「初めてのことやから、分からないわ」

と、殆どの人が、首をひねるが、

歴史を振り返れば、

古文書を開けば

聖書を読み返せば、

過去に、繰り返されてきた事だと、

気づくはずなのです。

 

全ては、

人間がしてきた事が、原因であり、

その結果として、表出した現実なのです。

 

その度に、

秀でた人間は考え、人より先に行動し、

継続し、存在しているのです。

 

人間の路程は、

果てしなく永く、あまりに過酷であり、

令和の時代に、生きながら、

過去へと、元返してゆく魂。

 

大切な命も経済も、

犠牲の上で、成り立ち、

人類の歴史は創られていく。

 

人間が、失敗した地点まで、

心馳せれば、見えてくるはずである。

「疲れたねー!」

「大丈夫?」

と、声をかけるところからしか、

始まらないのである。