汚れた手では、開けてはいけない

仕事をしていた頃、

「介護の東大」が出来ればと、

夢見た事があった。

 

一人でも、優秀な介護者を生み出せば、

「聖なるネズミ講」の法則で、

増えるだろうと、信じていた

 

介護現場で起こる

不祥事の事件が、報道されるたびに、

心が痛む。

 

現場を知らないコメンテーターが、

「人手不足で、介護者もストレスが、

溜まっている」

と、憶測で判断する。

 

どんな理由があろうと、

障害者、高齢者、弱者に対して、

暴言、暴力は、

決してあってはならないのである。

 

その疾病に対して、

最善の治療が施され、医療的措置は終わり、

社会から、障害者として認定。

その人達に対して、

介護者がしなければならないことは、

「その傷の上に、

さらなる傷をつけてはいけない。」

事を、誓わなければならない。

 

精神障害、知的障害、身体障害、

そして、難病、

健康な私達には、理解し難い苦痛と悲しみ。

「可哀想!」とか、「気の毒!」

など、感情論では計り知れないのである。

 

赤ちゃんが生まれた時に、

誰もが、口にする、

「五体満足で良かった!」

も、介護に従事する人間は、

言ってはいけない

 

同じ病名がついていても、

表出する症状も、人それぞれである。

そこに、

その人の人格があり、思考がある。

 

学んでも、学んでも、

学び足らない、世界。

医学と科学はもちろんであるが、

介護する側の精神、心が問われる世界である。

 

メディアが、

「エッセンシャルワーカー」と、

知らない人間が、一括りにする。

 

崇高な仕事であり、

高貴な仕事ではあるが、

その現場は、

人の命と、見えない心に向き合い、

その世界に寄り添う強い信念が、

必要とされる仕事である。

 

振り返れば、傲慢にも、

教え、伝える立場の私もまた、

ガラス越しにしか、

携われなかったのかも知れないと、

今でも、迷いの中にいる。

 

汚れた手では、決して開ける事ができない、

「青い扉」

扉の向こうには、

心がビブラートし続ける、

壮絶な世界である。

 

そっと、扉を開けて、

光を届ける仕事が、介護である。