日常の中の死

「死」に関する話をすると、

少し、トーンが下がっていた人達が、

コロナにより、

真剣に「死」に、向き合うようになった。

 

「生」と、隣り合わせの「死」を、

受け入れるのは、難しい。

戦争を経験した人や、

震災や災害に見舞われた人は、

死に直面している。

 

有難いことに、

この歳になるまで、自身も周りも、

健康に恵まれ、平和に過ごしてきた人には、

「死」は、遠い話であった。

 

コロナで始まり、

コロナで終わろうとしている今年、

否が応でも、高齢者にとっては、

避けられない現実であった。

 

幸いな事に、子ども達や若者達は、

コロナに打ち勝つ力があるが、

習慣病、持病のある高齢者には、

手強いウイルスであり、

いとも簡単に、死んでしまう。

 

「私の人生は、山あり谷あり」

など、言う暇もなく、

「そろそろ、遺言状を」

など、書く時間さえない。

 

これほど、人間に対して、

容赦なく、

「死」を突きつけた病気は珍しい。

 

「ちょっと、熱が」

と、検査が陽性。

次の日には、人工呼吸器をつけて、

重篤患者になる。

 

さすがに、最近は、

友人達に会うと、「私は大丈夫」と、

自信を持ってる人は、少なくなった。

 

「死」が身近になって、

生き方や、暮らし方や、

その上、性格さえも見直している人も、

見かけるようになった。

 

「死」の話を、

日常の中の一部みたいに考えていた私を、

敬遠していた人が、

真剣に耳を傾ける様になった。

 

生きていく中で、

病気の苦しみ、

別離の悲しみ、

一人ぼっちの寂しさ、

貧しさの辛さ、

を、乗り越えてきた人間の、

最後の挑戦が、「死」への旅立ちである。

 

「100歳寿命」

と、言われていた高齢者が、揺れ動いている。