無神経な親が、無神経な子供を作り、
無神経な男が、無神経な女を作る。
因果応報という言葉は、
昔からあるが、歴史ある言葉なので、
否定は出来ない。
ある無神経な父親が、
娘を育てる時、
突然、お風呂のドアを開けたり、
勿体ないと、部屋の電気を勝手に消したり、
机の中を勝手に見たり、
支配者の傍若無人。
娘の心には、
「男は無神経」と、学び、植え付けられる。
大人になって、男性と出会い、
同じ場面に遭遇した時、一瞬で終わる。
最初から、
その絵面は、刺青の如く身体に刻まれ、
男性には愛ではなく、条件優先となる。
条件が達成しなければ、契約解除である。
そんな父親は、そんな夫であるはず。
女性蔑視は、妻にも向かう。
そこに生まれた息子は、
反面教師となれば、救われる。
残念ながら、
見事にDNAは、受け継がれ、
常に、我が氏素性を認識しなければ、
無意識、無神経の瞬間は、
垣間見えて来る。
人間の歴史は、虚しさの連鎖である。
何処かで、分かった上での人間模様。
一番愛されたい人から、
一番愛したい人から、
無神経な悲しみを受けたら、
爽やかな風を、探しに行こう。
吹く風は、
手のひらでも、つかめないし、
眼でも、姿は見えないけれど、
清々しく、心を癒してくれる。
優しい風の中に、
神様がいるかもしれない。