目覚めた朝に、

コロナ感染が発症して、約一年。

思いの外、大惨事となり、

世界レベルの問題になっている。

 

日本人は、

根本的に、中庸の精神の傾向性が強く、

どっち、どっちと言ってる間に、

取り返しのつかない方向に、

進んでいる感がある。

 

トップが、

社会主義と民主主義の狭間で揺れ動き、

思いきった判断ができず、

国民は、

経済優先の人、命優先の人に、

分裂をしている状態である。

 

すべて、「自己決定、自己責任」

待っていても、政府からは支持はない。

よって、

高齢者の私は、

経済ではなく、もちろん命を優先した。

 

自主自粛の生活を取ったのである。

仕事での、人との面会は休止、

親しい人たちとの外食は控え、

多少、体調が悪くても、

病院での診察や検査は、後回しである。

 

これほどの延長戦になるとは、想定外、

180度変化した暮らしのなかで、

社会から、遠ざかり、

生の声、生の情報が入らなくなり、

付き合う相手は、内なる自分に向かう。

 

誰にも強制されたわけではないが、

隔離されたなかで、

食事、排泄、入浴が、生命維持の、

主たる行動。

 

他者からのややこしい話があったり、

たまに人と会って、不愉快になったり、

仕事がスムーズに行かず、困ったり、

そんな暮らしの中に、生きがいがある。

 

ほぼ、虚のテレビの報道番組、

唯一の、社会の動きを知る術は、

インターネットの世界、

電話も、かからず、人も訪ねてはこない日々。

 

自分以外の事を知らず、

自分のことしか、

ブログに書けなくなった現実に、

「こりゃダメだ!」

と、重いお尻をあげたのである。

 

放射線状に並んだ扉の一枚を、

ゆっくりと、

開けようしている私がいる。

止まった時計が、動き出す音が聞こえる。