永く、福祉畑に関与しながら、
私は、児童の問題に関わらなかった。
「国民が、健康で、安心安全な暮らしを、
維持できる権利を有する」
には、あまりにかけ離れた人々がいる。
生まれた時から、
温かな両親の胸に、抱かれることもなく、
虐待されて、短い命を経つ。
何のために生まれてきたのか、
苦しみの中で、小さい魂は叫び続ける。
私自身も、
幼い頃に受けたトラウマが、
心のどこかに、トゲの様に刺さったまま、
消化しきれないでいる。
だから、
子供達の悲惨な姿を、直視できないでいる。
誰よりも、助けてあげたいと思いながら、
感情論が先立ち、救えない。
救えないなら、
最前線にいる必要はない。
と、決めた。
そんな思いの中で、
老人介護に長く携わってきた友人が、
児童分野に、就職したと連絡が来た。
老人福祉のベテランであり、
最終資格まで、取得して、
60歳を超えていたので、
このまま自動的に、
最終章まで到達すると思われていた。
児童の問題と向き合いたかった、
やり残していた様な気がして、
小学校の学童の先生を、決意したと言う。
そして、
「老人介護をしていた事が、
児童福祉の世界で、役に立ちました。」
と、堂々と言われたことを、忘れない
元々、教員資格を持っていた事は、
知らなかったが、
「戦える武器があるなら、進むべき」
と、応援した。
それにしても、
これから、老いの始まりの境界線で、
なおも、前を向いて、
高みを目指そうと言う心意気には感服する。
何かある度に、
腕を組み、「うーん」と頭を抱えては、
立ち止まる私とは違い、
何事があっても、
当たり前の様に、さり気なく、
春風の様に、温かな人である。
そんな人が、
子供達の輪の中にいて、
彼らの人生の中に、存在している事が、
感謝である。