「やめます」と、言えたら。

来年のオリンピックは、

何があっても、「開催される」

 

「やめます!」

と、言う人がいないからである。

 

もちろん、

東京都知事も言わない、

総理大臣も言わない、

JOCの会長も言わない、

IOCの会長も言わない、

誰も、言わないので、やめないのである。

 

本来のオリンピックの

意味も意義も見失い、

未曾有のコロナ感染の渦の中で、

誰も経験した事がなく、

「やめる」と言う答えを、言う人がいない。

 

オリンピックだけではなく、

昔から、

「これって、おかしいんやない?」

と、誰もが思いながら、継続し続ける。

 

特に、日本は、

大いに無駄なことでも、

明らかに、意味のないことでも、

命や健康に関わることでも、

誰もやめようとしない。

 

誰が決めたか分からなくても、

根拠を追求しても、

解読できなくても、

「昔から、決まってるから!」と言う。

 

あの戦争までも、

原爆を落とされる惨事に会うまで、

やめようとはしなかった。

もし、やめていたら、

どれほどの人たちの命が、

救われたか分からない。

 

このコロナの暴風雨の中でも、

「ロックダウンはしない」

国民の目の前で、口籠もり、

責任を負うことを、恐れて、

「大いなる決断」は、出来ないでいる。

 

桜の会の問題で、

前総理の人間性が問われている。

誰が、考えても真実は見えている。

 

秘書だけが、

責任を負うのがあたりまえの慣例の中で、

「すべて、私の責任であり、

議員は、辞めます!」

と、謝罪されたら、

閉ざされていた、厚き壁を、

打ち破る事ができる。

 

そこからしか、

信頼と希望は、始まらないのである。