計算のない癒し

友人から、

「551」の豚まんをもらった。

 

生まれて初めて、食べるので、

チンして、ふわふわ、あつあつの豚まんに、、

かぶりついたら、上顎を火傷した。

 

お箸ではおかしいし、

フォークと、ナイフで切って食べるも変!

手づかみで、食べるのは、久しぶり。

 

世間体もあり、コロナ自粛とは言ってるが、

実は、閉じこもり傾向の兆しあり。

難しい仕事が来ないのは、神経が楽!

人と会わないのは、緊張がないから、楽!

外出しないから、色々めんどくさくない!

 

うわべは、そんな感じの理由ではあるが、

実は、

私の中にあった本質的なものが、

タイミングよく、表出してきたのである。

 

人は、外面的なものだけでは、

判断はできないし、知り得ない。

決して、人には言えない事、

取り返せない過去のトラウマ、

吐露すれば、軽蔑される事、

など、少なからず、あると思う。

 

日常の暮らしの中で、

自分の役立ち感があったり、

アートや音楽に、興味があったり、

優しい人が一人でもいれば、

心が救われる。

 

深い闇の中のことは、

パンドラーの箱に、きちんと納め、

生活とは、分別が出来ている。

 

しかし、非日常的な、

コロナという舞台の、プロローグが始まり、

悲劇のドラマが、進んでいくと、

自分自身が、ドラマのヒロインの様に、

不安や、恐怖に同化してゆく。

 

人間は、常に、

自分の弱い部分を、把握して、

悪い方に傾倒する自分を、

バネの様に、元に戻そうでする。

それが、心のバランスである。

 

頑張らないと!

やらないと!

負けたらあかん!

と、思えば思うほど、

出来ない自分に、心は座屈してゆく。

 

深い井戸の底に、

落ちてゆく様に感じるが、

実は、落ちてもいないし、

自分を失ってもいない。

同じ場所に、存在している。

 

目まぐるしく変わる車窓の景色に、

時には、目を閉じて、

優しい自分に、寄り添ってみる。

 

誰にも邪魔されない、静かな時間、

共すれば、

妄想の世界に、変容してゆく。

 

そんな時に、

私の心模様を、知ってか知らずか、

心優しい元生徒さんが、

唐突に、

「先生、豚まん!」と差し出すのである。

 

まったく、計算のない癒しであり、

もはや、笑うしかないのである。