使命感は誰にでもある。

 

主治医のドクターに、

頼んだお薬を、取りに行くのが遅れ、

慌てて、飛び出したら、

いきなり、

階段の下で、女性が倒れているのが、

目の中に、飛び込んできた。

 

通りがかりの人が、

声をかけるが、手を振り、

「大丈夫」と、拒否をされてるので、

時間はなかったが、近づいた。

 

私の元職業を言って、安心してもらい、

「どうされましたか?

めまいがしますか?」

と、問いかけながら、全身を見ると

 

右手の指の第二関節を、

五本とも、深く擦り剥き、出血していた。

転倒された事がわかり、

質問しても、宙を掴むような動作で、

意識が混濁している。

 

頭と顔を見ると、

石に擦れたように、頬が白く、

口元を、少し切っている。

顔の表情は蒼白く、

目の下と、爪の色が悪く、貧血のようす。

 

この時点で、

救急車要請を決めたのである。 

 

言葉にならない言葉を発して、

逃げるように、

ふらふらと立ち上がり、歩き出すが、

また、倒れそうになる。

 

そばで見ていた人が、思わず抱き抱えた、

「コロナの時だし、出血されてるので、

触らない方が、安全ですよ」と、伝えた。

 

優しい人は、びっくりして、

触ったり、抱き抱えたりするが、

決して、無闇に触れてはいけない。

 

私の用事を思い出し、

「ああ、間に合わない!」

と、諦めかけたら、救急車の音。

あとは任せて、

車に飛び乗って、お医者様に向かった。

 

あの倒れていた人は、

「いつかの私!」

歩きたくても、歩けなくなる。

危ないと分かっていても、

頼みたくても、誰もいないのかもしれない。

 

夜になっても、気になって、

どうされたかしら?

処置してもらって、無事帰られたかしら?

お金は、持ってらしたかしら?

 

もう、仕事をやめて、数年経つが、

自分が年老いても、身体の一部に、

私の使命感が、どこかに残っている。

 

人を救いたいという使命感は、

誰の中にも、存在している。

 

 

 

 

 

12時までに、取りに行く約束が遅れ

 

あちこち、持病のある私は、

薬を手放せないでいる。

 

大病があるわけではなく、

加齢とともに、

徐々に、重度化しただけである。

 

若い頃からの、

仕事で痛めた、右股関節の変形、

それを庇うために、

痛めた左膝関節の痛み、

 

長く、

飲み続けてきた痛み止めで、

胃を荒らして、胃潰瘍に、

 

そして、

あまりに不幸な人たちの、

涙と叫びを受け止めて、

自分の心を削ってきたストレス。

 

だから、

病ではないのです。

加齢という階段を、

ごまかしながら、調整しながら、

ゆっくりと、歩いているだけなのです。