「怖い!」と言う、
誰の中にもある恐怖観念を、
乗り越えた時期があった。
幼い頃から、
大胆な行動をする割には、
危険意識や、防御本能は、
強かったと思う。
人間の傾向性は、
自身のDNAだけではなく、
家族構成や、周りの環境などが、
身体に打ち込まれて、出来上がってゆく。
私の場合は、
軍人上がりの厳しい父の影響は、大きい。
権力、財力の支配下のもとで、
愛より以前に、恐怖や不安が先立っていた。
暴言、暴力は無かったが、
善悪の基準は、父の思考であったので、
反発はあったが、
「触らぬ神に祟りなし!」である。
戦争という、
人間にとって、最もな悲劇を経験した、
父には、敵わなかったからである。
「怖さ」と、立ち向かう恐怖に、
人は、びびり、
「見ざる、言わざる、聞かざる」で、
現実から逃避する。
「怖さ」を、取り除く為には、
怖さを味わうしかないのである。
悲劇のドラマに、
主人公、もしくは、関係者になる事。
人間にとっての悲劇は、
生き死にを味わう事、
絶望的な目に遭う事である。
私に与えられた仕事は、
目の前で、人の死に直面し、
看取る仕事から、始まったのである。
人が人を救えないことを知り、
ただ、出来ることは、
最期の時まで、目を逸らさずに、
共に、時間を過ごすことであった。
その世界の中で、
自分事として、学び、
悲しみや苦しみや寂しさを、共に味わい、
「怖さ」という壁を、
透明人間の様に、乗り越えたのである。