「あの人、いい人よ!」
と、言われてる人の中にも、
意地悪な根は、皆んなもっている。
意地悪や差別を、自分がしているとは、
思っていないだけである。
「人間として、間違ったことはしない」
と、決意している人ほど、
思い込みが強いのである。
世の中の不合理や不条理に腹を立て、
綺麗事で、簡単にすましてしまうと、
大きなミスをしてしまうことがある。
人は千差万別、
数え切れないほどの思考、感性がある。
自分側から見て、
間違い無いと、確信を持ってしまうと、
相手にとって、
意地悪や差別を、知らぬ間にしてしまう。
24時間365日、
常に一緒にいるわけではなく、
人の心は一瞬で変容してゆく。
親子、夫婦、兄弟、姉妹、友人、
は、親しすぎて、切り傷だらけ。
言葉は、時として、人を救うこともあるが、
凶器にもなる。
「そんなこと言ってたら、誰とも、
喋られへん!」と、叫ぶ。
出来れば、喋らん方がいいのです。
自分の言葉が、鋭いナイフの様になり、
血だらけになった事がある人は、
静かに、寡黙に生きた方が、
正解かも知れません。
「あほ!ばか!間抜け!」
の様な荒い言葉は、意外と傷つかず、
むしろ、相手にも叫ぶ権利を与えている。
反論ができないほどの、
弱者の首根っこを押さえながら、
優しい言葉で、気づかせる行為が、
意地悪や差別だと思う。
歴史の中で、
言葉ではなく、ナイフを持たずに、
人道を生き抜いた人は、
尊い命を落としている。
アフガニスタンで、
「貧しさは、薬では治らず」
と、用水路を作り、水と場所を与え、
暮らしを守り抜いた中村哲ドクターの、
話は、記憶に新しい。
人間の域を越えて、
神に近い人達は、別として、
せめて、いらんこと言わんと、
「不言実行」が、今の時代には合う。
寡黙、沈黙、黙食は、
コロナ期には、必須である。