コロナにかかり、自宅待機中に急変し、
亡くなられた方が、100人を越えた。
コロナでなく、
一人暮らしで、救急車に連絡もできず、
孤独死する高齢者は、致し方ない。
しかし、
陽性になり、保健所や、主治医に伝え、
苦しくても、何処からの連絡もなく、
死んでゆく事など、想像を絶する。
この時代に、
考えたこともない。
たとえ、死ぬほどの状態であっても、
病院で、手厚い医療が施されて、
命尽きることになるならば、諦めもつく。
ヨーロッパの感染拡大、
医療崩壊の報道で、
病院の廊下にベットが並べられた、
壮絶な場面が映し出されていたが、
部屋でなくても、廊下の片隅でも、
点滴だけでもして貰えれば、安心する。
今の日本では、
何故、そのような場面がないのか、
不思議に思う。
病院の玄関で、力尽きて倒れたら、
どうなるのかと思う。
そのまま、放置されるのか、
恐ろしい話である。
コロナ感染確定、保健所、病院、
このルートしか、動きようがないのである。
たしか、私達には、
「病院に行く権利」
「死にそうなら、治療してもらう権利」
が、あったはずである。
色々、言い訳があったとしても、
社会から、見捨てられるように、
死にたくはないのである。