耐えているのは国民です

「森会長、耐えてください!」

と、周りから説得されて、

辞任をしなかったと、報道されている。

 

「おかしいでしょう!」

周りも周り、「耐えている」のは、

国民ですよ!

 

高齢者は一歩下がって、

若い人たちを応援してればと、

じっと、見守ってはきましたが、

同じ年代の恥晒しに、

一言、いえ、二言、

「女の話は長い!」と言われようが、

我慢できずに、ブログで、発信。

 

時代の犠牲者は山ほどいる。

命さえ、落とされた人も、

冤罪を背負わされた人もいる。

経済だけが飛躍的に進歩した、

世界の先進国と言われた日本。

 

しかし、

教養ある国の顔とは裏腹に、

江戸時代から変わらぬ、

古い習性と、水面下の闇の中で蠢く人達。

 

仮面舞踏会のような国会の議論で、

ベールを被せたような言葉が飛び交う。

たまに、

女性議員が、厳しい言葉で応対すると、

メディアまでもが、

「ちょっと、言い過ぎで可哀想!」

と、意見する。

 

「可哀想」は国民ですよ!

言い方に囚われる前に、

根本的な問題は何なのかを、

忘れてしまう、甘さがある。

 

「今だけ、金だけ、自分だけ」が、

蔓延った日本社会から、

脱却しようと、

若い人達が、声を上げ出した。

 

「自分に来なければいいやん!」

と、思っていた人達が、

コロナという恐怖に出会って、

「人は自分だけで生きていない」

事を知った。

 

縦、横、縦横無尽に、全ては繋がり、

社会は呼吸している。

片隅の細い血管が、一ヶ所詰まっても、

心臓は止まるのである。

 

個人は地域に繋がり、地域は国に繋がり、

国は世界に繋がり、世界は宇宙に繋がる。

だから、

ミャンマーのクーデターも、

アフリカの子供たちの貧困も、

自分のことである。

 

その事に涙して、行動していける人間が、

次々と生まれている。

今も、勇気ある女性達が、

囚われの身になってまでも、

伝えたい意味を、

私達は、受け止め、声を上げねばならない。

 

世界が変容した事にも気づかない、

日本のリーダー達から、

何を教わるのか?

「こんな風になってはいけない!」

と、反面教師として、学ぶしかないのである。

 

高齢の女性ですが、

長々のブログになりました。

そんな私にも、

若い人達の未来のために、

「私に出来ることは、まだ、ありますか?」