「先生」ではなくメッセンジャー

当たり前のことが、当たり前でなく、

当たり前でないことが、当たり前の、

独自の理論を、展開している、

国のリーダー的存在の方々。

 

頭の中は、どういう思考回路なのか、

計り知れないが、

長く、歪んだ世界の中で、

思い込みと、老化現象。

 

「決定権は、私には無い」と、

責任転換しながら、

「薄ら笑い」しているように見えて、

気持ち悪い。

 

この人達を、見て見ぬ振りをしてきた、

同年代の私たちにも、

大いに責任はある。

 

「女だてら」に、意見を言えば、

蔑視され、村八分

勿論、守られるべき家の中にも、

男尊女卑は、主柱にあり、

自分の運命すら、決められず。

 

物心ついた頃から、

親の、世間の理不尽に、疑問を抱き、

抵抗し続けた私は、

「反抗的な女の子」として、

レッテルは、貼られていたような気がする。

 

勇気を持って物申すと、

賛同者であった、兄弟姉妹も友人も、

消えていく。

頑固な性格が幸いして、

守るべきものを差し出さなかった私は、

「損得」で言えば、「損」の連続。

 

そんな私が、

「教える人」として、教壇に立った。

教育の世界にも、理不尽は蔓延り、

流れに逆らう難しさを、味わった。

 

日本の中では、

政治家も「先生」と呼ばれる。

あの人達と同じ種類の、

「先生」にはなりたくなくて、

自他ともに、

専門的な「メッセンジャー」として、

事に仕えてきた。

 

若い人達の、瞳の奥に潜む、

誰にも汚されていない純粋さに、

向き合い、伝えて来た。

 

たった一人の生徒にしか、

伝わらなかったとしても、

その時間は、未来を創ると信じて、

今がある。

若者達のエネルギーの音が、

微かに聞こえてくる時代になった。