差別が差別を育てる

家に帰るなり、

「飯、風呂、寝る」

しかなかった主人も、森氏の年代である。

 

また、

それに対して、不満はあったが、

黙って殉じていた私も、同じである。

 

「親に向かって意見を言うなど、

もってのほか!」

「誰のおかげで、ご飯を食べてるんか!」

ほぼ、これが、

その時代の父親像である。

 

不条理や、理不尽を、

グッと堪えて、生きてきた反動もあり、

今の60代、70代の親は、

我が子には、相対的に甘い。

同じ思いはさせたくないからである。

 

抵抗はしながらも、

植え付けられた種は、根っこにあり、

「差別が差別を育てる」のである。

無意識の意識は、

同調圧力となり、

一般常識として、蔓延ってきた。

 

しかし、世界は変わり、人間は進化した。

お金よりも、教養が重視され、

「ポロッと、でちゃった!」は、

許されない時代である。

 

貢献されてきた政治家も不正は辞職、

金メダルを取ったアスリートも、

ドーピングは出場停止。

時として、日本人の多くは、

感情論が前置きにある。

 

世界の基準を知り、理にかなったものには、

瞬き一瞬で、変容せねばならない。