先祖の列に並ぶ時

昨日、以前から予約していた、

胃カメラの検査をうけた。

 

逆流性食道炎やら、胃潰瘍など、

ストレス系は、全て持ち合わせている。

2年に一度の検査の約束も、

あっという間に5年が経って、

もはや逃げきれない。

 

若い時と違って、何か出てくるので、

結果を聞く前の晩は、

色々考えて、眠れないことがある。

 

身内、友人、知り合いなど、

この歳になると、悲しい知らせや、

困難な状況が、耳に入り、

その度に人ごととは思えず、

「次は、私かも」と、覚悟する。

 

天に召されるときは、

歳の順でもなければ、

行いの善悪でもなければ、

貧富の違いでもないらしい。

 

若い頃から、身体が弱くて、

病院にいる期間の方が長い人でも、

100歳に手が届きそうな人もいる。

 

止めようもないほど、元気なアスリートの、

お爺さんが、突然お風呂場で急死する。

周りのショックの方が、大きい。

 

自然に待てば寿命が来るのに、

自ら死を早めた人。

別れは、どの人とも悲しいが、

とりわけ、自死は、切なさが残る。

 

人の命や人生と向き合う仕事は、

他人の十字架までも、背負ってしまい、

辞めてからも、忘れることが出来ない。

 

私自身が、

お世話をしていた人たちの歳に近づき、

膝や腰が痛んだり、

目が見えにくかったり、

臓器が弱ったりする度に、

「あの人、こんなに不自由やったんやわ」

と、なってから、わかるようでは遅い!

 

そんな、私に、

「大丈夫やから、心配ないよ!」

と、逆に、気を使われていたことが、

亡くなられてから気づくのである。

出来た高齢者は、

専門家より、一枚上手である。

 

先祖の列に並ぶ時が来たら、

誰にも迷惑かけず、

誰にも悟られずに、

静かに「さよなら」したいと、

私も、望んでいる。