好きか嫌いかだけの、極端な選択肢で、
人や物や趣味や行動を、選んでみたら、
なんと、人では70数年生きてきて、
好きだったのは、たった二人だけと言う、
お粗末な結果になった。
もちろん、家族や友人も、
ひいき目に見る事なく、
一人の人間として、判断する。
こんなにも嫌いな人の方が、
多かったと言う事は、
それでも、うまく付き合ってきた自分が、
一番怖い人になる。
世の中には、
「ひきこもり」の人達が、
老若男女多くいると聞く。
そんな人たちの気持ちが、よく分かる。
よく考えてみれば、
人以外の物や趣味や行動に、
好きなものがたくさんあったので、
私は、欲にかられて、
人間関係を重きにとらえず、難を逃れた。
考えてみれば、
嫌いな人が多かったのは、意図的に、
好きにならない様にしていたかも知れない。
好きー大切ー裏切りー決別ー喪失感。
この法則を守る為には、
好きになってはいけない防御装置が働く。
元来、私の気質なのか、主義思考なのか、
それとも、後天的なトラウマかと言えば、
確実に後者である。
赤ちゃんの時は、誰しも、
なんの疑いも持たず、無心な天使から、
皆スタートする。
しかし、
取り巻く周辺状況や、運命的な事もあり、
傷つく事も経験して生きていく。
例えば、
「お父さん」が、嫌いな人は、
潜在的に男性の中に、お父さんを見つけ、
「やっぱり!」と、確信して、
別人ではあるが、思い込みで判断する。
だから、コロナ禍の中、
大変な状況ではあるが、
私の「ひきこもり的習性」には、
どこかで、ホッとしている。
お付き合い会食なし!
好きな物は、デリバリーで届く。
外出規制が出ている!
家好き人間にはもってこいである。
何より仕事は、リモートで!
高齢者にはありがたい。
しかし、最近、
運動不足で、足腰は弱るわ、
会話がないので、言葉を忘れるわ、
シャボン玉の様な小さな世界で、
夢や希望までが、薄れてきたのである。
認知度は、ますます、進んでいる。