葬式無用、戒名不用

通り道に、

小さな教会がある。

週替わりの「御言葉」が、目に入る。

 

何故か、

心を見透かされた様な文言である。

「うん?」

一瞬、耳元を、風が通り過ぎる。

気にしない、私がいる。

 

昔から、

神様、仏様とは、縁遠い人生。

化学的発想と、エビデンスを求める主義。

と言うよりも、

「信じる」事が、出来ない人間である。

 

きっと、

神様が、私の前で、

「貴女の事です」と言われても、

知らん顔する私がいる。

 

失礼、無礼を、

平気でしてきたから、

「はい」と言えない私がいる。

 

この場所に来たのも、

あの人に出会えたのも、

あの苦しみを乗り越えたのも、

愛しい子供を与えられたのも、

偶然ではない。

 

宗教も、人生のポイントの一つ。

何を信じようが、自由である。

海外では、人格形成上欠かせないもの、

また、教養として身につけるものである。

 

誘われて、

色々な宗教の講座に行ったが、

どれも、マッチングせず、

未だ、「彷徨う子羊」である

 

「お墓の前には、私はいません」

の、曲に、変に納得したり、

「葬式無用、戒名不用」も、

同感してしまう私がいる。

 

形式、儀式に、囚われず、

誓える神様を、選択できず、

結婚式すら、していない。

 

お葬式だけは、死んでる本人が、

決めれない。

残念ながら、お任せコースである。