百貨店やスーパーでは、
「おせち」の案内が、出始めている。
感染拡大がまだまだ、収まらない中、
「お祝い」も、「おめでとう」も、
憚られる。
何が起こっても、
月日はめぐり、年を超えてゆく。
激動の二年間、
命の大切さを知る期間であった。
家族が家族の事を、思い合い、
自分以外の他者の事に、気付かされ、
苦しみを分かち合う期間であった。
若い時には、死が間近にあることなど、
考えもしなかった若者達も、
少しずつ、心が動き出している。
入学すれば
大学に行くのが当たり前の学生達も、
通学もできず、
ギリギリのバイト生活も、絶たれたが、
大学が支援をし始めたと聞く。
女の子達の、生理用品までが買えないと、
この日本でありえない現実も、
行政が、手を差し伸べていると聞く。
完全ではないけれど、
完璧ではないけれど、
「大丈夫?」と、相手を気遣いながらの、
二年間であった。
一人の人の知恵ある行動が、
百人の人に広がってゆく、
「百匹の猿」現象が、起こり始めている。
ドクターでも、政治家でも、一般人でも、
立場や役目を越えて、
人を救うために、尽力する人は、
命の尊さを、知っている人であり、
慈愛の心が、備わっている人達である。
困っている誰かを、救うために、
年老いた私にも、何かひとつくらい、
まだ、出来る事がある。
新しい年を、コロナの中を、
再び、歩き出す音が、聞こえてくる。