お彼岸に思う事

通いなれたる山道が、

珍しく、停滞気味。

考えてみれば、

お彼岸を挟んだ、シルバーウィーク。

 

深い意味もなく、

カレンダー通り、決められた通りに、

人々は、「お墓参り」に向かう。

 

特に、

悪いことが続く年には、

「お墓参り」でも、行っとくか、となる。

 

不思議なもので、

一年に数回しか来ないけど、

爽やかな風の中、

お墓を洗い、お花を添えて、

無心で、手を合わせると、

なんだか、心もスッキリ、ホッとする。

 

その後、

小さな良きことが起こると、

「お墓参り」のおかげかなと、感謝する。

よって、日本人の殆どが、

先祖を敬う儀式事を、大切に行う。

 

「そこには、私はいません」

「眠ってなんかいません」

千の風になっての歌詞の様に、

私は、いつも、不義理をする。

 

死んだら、仏様にはなるけれど、

願いを叶える神通力が、つくとは思えず、

亡くなった人を、

褒め称え、感謝をする事で、

「成仏」、仏に成ると、思ってる。

 

日常の中で、

奇跡の様な、不思議な現象が起こり、

困ってた事が、解消すると、

「神様、ありがとうございます!」

と、思わず、感謝してしまう。

 

「ご先祖さま、ありがとう!」

には、ならないのである。

上の代は、皆、仏様になったので、

つぎ順序的には、私の番。

 

死を引き換えに、生きていると、

時間も、人も、物も、出来事も、

大切に思える様になった。

 

生々しさも、ベタベタした執着も、

削ぎ落とし、身軽になって、

天に、消えていきたいと、願っている。