「途方に暮れる」時がある

「途方に暮れる」時が、

この歳になっても、たまにある。

心が止まってしまう。

 

最近のメディアから発信される、

目を覆いたく成るほどの、

残虐な事件や事故、

人道を外れた非道、失われた道徳感。

 

興味をそそる様に、色目を変えて、

ワイドショーでの、

専門家ではないコメンテーターの、

エビデンスのない、茶番劇。

 

そんなメディアの情報を、

唯一無二の、知識と教養として、

取り入れている人達の層がある。

 

社会の中で、揉まれた事もなく、

親から夫に扶養家族として、移行され、

恵まれた財の中で守られて来た女性達。

 

そんな人達が作り上げて来た

もう一つの社会勢力が存在している。

まるで、階級制度の様に、

私的で独善的な思考から、発生したものである

 

世の中で起こっている、

非人道的な事や、

貧困層の事故や事件は、

自分の生きてる世界とは、

無関係だと、思われている人達である。

 

地位、名誉、お金だけが、

人間の値打ちを表すものではないが、

彼女達は、それ以外の世界を知らず、

「この人達とは、違う」

と言う差別を、無意識でする。

 

誰しも、人間の本質の中には、

サタン性は、存在している。

人が、

他者に対して、攻撃している時は、

本人自身も、誰かから傷つけられて、

血が流れている、

 

戦国乱世の様な、総裁選争い、

剥き出しの利権争いと金銭欲、

コロナの事など、ほったらかしの、

綺麗事の口先三寸。

 

国の姿は、我が姿、

我が姿は、我が子の姿、

血と負の連鎖は止まらない。

自分の力で出来ない事に遭遇したら、

「途方に暮れる」時がある。