錯覚の深みに

朝の家事を、一通りすまし、

窓を開けて、ソファで一休み。

 

太陽の光が、部屋の隅々まで、照らし、

秋の爽やかな風が、通り過ぎてゆく。

 

このひと時の為に、

生きてきたのかなとも、感じる

悲しい事も、辛い事も、

この時間の中で、浄化されてゆく。

 

「人を想う」、暮らしの中で、

眼を閉じれば、走馬灯の様に、

次々と、浮かんでくる

 

自らの命を絶つ、深い悲しみを、

消化しきれないまま、

心に残像が、映し出される。

 

月日が経てば、忘れ去られていく中で、

「死」をもって、伝えたかった事を、

私は、想い続けている。

 

何故、

「一人ぼっち」と、「誰もいない」と、

錯覚の深みに、落ちていったのか?

 

思ってくれていた人が、

そうではなかった事、

今、そばにいてほしい人が、

離れてしまった事、

「一瞬の不幸せ」に、惑わされる。

 

人だけが、「幸せの証」ではない。

忘れずに来る朝も、

寂しい夜の、美しい月や星、

少し、手を伸ばせば、

誰にでも与えられる「小さな幸せ」

 

生きてさえいたら、気づいていける、

日常の中で、見つけていける、

たまには、

地球に寝そべり、抱かれる時間も、

必要かもしれない。