「知らんけど」の優しさ

「知らんけど」を、

決して言えない職業の私としては、

若い人達が使うこの言葉に、

正直さと、可愛さを感じている。

 

一端の事を、朗々と言った後に、

照れ隠しの様に、小さな声で、

「知らんけど・・・」

そしたら、周りが、

「知らんのかい!」と、ツッコミが飛ぶ、

可笑しさに、思わず笑ってしまう。

 

全くもって、

私の様な年寄りには無い発想、

英語より解読不明な若者言語には、

戸惑いもあるが、

真をついてる暗号も隠れてる。

 

生きやすそうで、

生きづらいこの社会の中で、

若者なりの、不安や恐怖もあるはず。

 

「何なん!意味不明!」

と、言い合いながらも、

NOと言えない自分がいる。

 

そんな大人達と、一線を引く、

若者だけの世界観。

社会に出れば、

生きていくには、

ため口も、個人的思考も、

ご法度な社会である事を、知っている。

 

生きづらい道を引いた私達にも、

責任の一端はあるが、

先進国とは名ばかりの、

遅れた国の中で、苦悩し、

立ちはだかった大きな壁を、

打ち破れずに生きてきた。

 

待ちに待った、

SDGsに、ジェンダーレス、

世界中が変容してゆく時代が、

やってきた。

 

主従関係のパワハラ、セクハラも、

消えていく。

「男らしく」「女らしく」禁止言語も、

消えてゆく、

差別用語がまかり通る社会も、

消えてゆく、

 

誰をも、傷つけない、優しい言葉、

「知らんけど」は、

残って欲しい言葉である。