誰も知らない私

どれほど長い付き合いでも、

自分を、知っている人は、

半分にも、満たない、

誰も知らない私がいる。

 

少しくらい、

心の窓から、覗き見したぐらいでは、

知り得たことにはならない。

 

深い川が、

どこまでの深さがあるのか、

川の底に、何が存在しているのか、

本人すら、知り得ないでいる。

 

剥いても剥いても、

芯までたどりつけない玉ねぎの様に、

知っても、知っても、

人の心の底には、触れられない。

 

手を伸ばして、

掴んでみれば、思いもかけない、

ヘドロも出てくる。

 

長い期間を経て、

少しずつ、熟成されたものは、

透明な湖の様な美しさ。

 

途中で、

蓋を開けたり、混ぜてみたりを、

決してしなければ、

黄金色のワインに、成長する。

 

人の心は、

どれほど、繊細で、微妙かを知れば、

「迂闊な言葉」

を発する事は禁句である。

 

そんな人たちにとっては、

コロナ禍の、

マスクと、ソーシャルディスタンスは、

心地よい、距離感になったのである。