「いい加減」な事を「いい加減」にしない

「いい加減」になってしまった国の、

「いい加減」な人達が、

「いい加減」に生きてきた。

 

昭和の生まれの人達は、

人の上に立つ人間は、

人から好かれ、慕われ、

情ある人間になれとの、

古風で、画一化された、

「戦後の教育」を、受けてきた。

 

「腹に一物」あれど、

ニコニコと、振る舞い、

「脳ある鷹の爪」を隠して、

野心は見せず、

「希望」を、持ったところで、

待ち人来たらず。

 

コロナによって、

男性社会の中は、

今日付けで、最南端に移動!

が、仕事は、リモートに変わり、

契約取るため、死に物狂いのお酒!

が、接待、会食、絶対禁止令

経済盛り上げるため、みんなで行こう!

が、人と会わない自粛生活。

 

政府と、医学博士のお達しに、

昭和生まれは、ひっくり返る。

「戦後のあの教育は、何だったの?」

と、問いに答えられる人は、

最早、この世にはいないのである。

 

昭和の教育を、受けた側の人間が、

この後始末をするには、

あまりに、過酷なことであり、

また、「いい加減」な、考えで、

「いい加減な判断」を、

しかねないのである。

 

次世代に、バトンが渡るまでに、

多くの、「いい加減」にしてきた事が、

山積みとなっている。

日本の未来を背負う若者達には、

決して、「いい加減」に処理したものを

背負わせてはならない。