ガラスの様な繊細な心に、
寄り添うことなど、
触れることさえ、出来ないできた。
無骨な私が、
手掴みで、触れば、
積み上げた、美しいガラスが、
音を立てて、消えてゆく。
彼らが
大切に守っているものを、知っている。
この世には、存在しないと、信じてる。
「見せて欲しい」
と、言われたら、
空っぽの掌を、差し出すしか無いことを。
日本神話の中で、
天照大神から始まった、
「引きこもり」の、闇の世界。
弟のスサノウの理不尽さに、
岩戸に身を隠した話が、頭をよぎる。
家族がいるから、救われた人、
家族がいるから、救われなかった人、
この法則からの、脱出は、
自ら、扉を開けるしか無いのである。
誰かが、こじ開ければ、元の木阿弥、
呼びかける声は、騒がしい音になり、
問いかけの言葉は、消えてゆく。
冬には、温かな一杯の珈琲があり、
夏には、涼やかな風が通る窓があり、
呼吸ができる、空間の世界さえあれば、
生きてる事を、実感できる。
自分の手で、扉を開ける日は、
天変地異が来た時くらい、
それほどのことがない限り、
本当の自由な社会にはならないのである。
誰にでも、
「ひきこもり」の世界は、
心の片隅には、あるかも知れない。