「一家団欒」て、何?

「物心つく頃」とは、

人によって、違う。

私の場合は、

多分、3歳前後と、記憶している。

 

70年以上、たった今でも、

残り続けた悲しい記憶がある。

 

当時は、

今の様な、食卓テーブルがなく、

座敷机で、一家6人が、

食卓を囲んでの、食事である。

 

父は上座に、一人座り、

手前に、四人の子供たちが、座ってる。

母の席はないのである。

 

おしゃべり禁止、

と言うよりも、父が怖くて、

誰も喋りはしない。

肘など、テーブルにつこうものなら、

何が飛んでくるかわからない。

 

父の食事が終わるまで、

母は甲斐甲斐しく、世話をする。

私達が、父の機嫌を損ねないかと、

ビクビクしてる、悲しそうな顔を、

今も、鮮明に覚えている。

 

「一家団欒」て、何?

と、3歳の幼児は、感じていたのである。

 

どこかのCMではないが、

「父が家にいる時、いない時、」

の、家の中は、

明暗が見事に分かれていた。

 

時々、部屋の片隅で泣いてる母の姿を、

見かけて、

「お母ちゃん、どうしたん?」

と、ちぃっちゃな私は、

母の顔を覗きこみ、一緒に泣いた。

 

「今に、見とれ!あの鬼親父!」

と、心に誓いながら、

この負の連鎖はあかんと、

3歳の幼児は、感じていたのである。

 

その歳で、

善悪の分別がついていたかは、

疑問であるが、

悲しみや喜びを感じる心は、あった様だ。

 

大人になってからは、

立場や、性別、性格によって、

例え、親であっても、一人の人格があり、

あの形の父親を演じるしか、

方法はなかったのだと、思える様になった。

 

子供側からすれば、

父は加害者、母は被害者、

として受け止めるしかなく、

思い込みで育っていくのも、問題である。

 

「一家団欒」を

知らない子供が、親になり、

絵に描いたような

「一家団欒」を、作れるかと、

問われれば、

 

母の立場に立った私もまた、

時々、被害者の様な姿を、

子供たちに、見せる事は、

あったかも知れない。

 

人間の悲しみは、

負の連鎖を繰り返してゆく事である。