「トイレの神様」は、
聞いたことがある。
私の家では、「お風呂の神様」である。
こう寒くなると、
いざお風呂に入るとなると、
「面倒くさい!」が先立って、
色々、理由を作る。
「なんかゾクゾクする」
「出掛けてないから、汚れてない」
などが、頭を交錯する。
スルーする自分も嫌で、
1日の終わりの行事と思い、
やっとこさ、お風呂に入る。
温かな湯船に浸かると、
お風呂に入る前の、
心の迷いは、吹き飛んでしまう。
塵一つない、澄み切ったお湯の中では、
冷え切った心までもが、溶けてゆく。
瞼を閉じて、「無の境地」。
産まれる前の母の胎内の温かさ、
訪れた悲しみで、一人きりで流した涙、
理不尽な社会への怒りが、消えてゆく。
脱ぎ捨てた裸の私を、包み込む温もり。
沸き起こる感謝のひととき、
ここに、
「お風呂の神様」がいる。
手を洗う水さえ無く、
泥水を飲むしかない国の、
子供たちの顔、
雨さえ降らず、干上がった場所には、
熱さを凌ぐ、樹木さえない国の、
悲惨な暮らし。
お風呂の温かさの、至福の時間を、
味わう度に、
「味わえない人々」がいる事を、
思い出す。
「お風呂の神様」が、教えてくれる。