朝日の眩しさが、
カーテンを突き抜けて、部屋の中へ、
今日もまた、
予定のない1日が始まる。
家族のことなど、考える余裕もなく、
働き続けていた、あの頃を思い出す。
自分を取り戻したくて、
しがらみから、逃れる様に、
仕事に没頭していた日々、
今は、
何を得たかったのかを、
心に問いかける時間になった。
数少ない、家族との思い出、
古いアルバムの中で、
家族や友人達が、笑ってる。
こんな時、あんな時が、
大切な時間であった事を、痛感する。
社会の中の、
「私の存在」を、確かめたくて、
走り続けてきた意味は、
全てが終わった後に、見えてくる。
「お金の為」ではない、
高貴な仕事を求めて、
他者の為に、役立つ仕事がしたくて、
酷使し続けてきた数十年。
全ては、
事に仕える「仕事」ではなく、
私の為の「私事」で、終わったのである。
小さな家庭の中に、
私の大きな存在が、あった事を、
何処にいても、
私を知る鍵が、あった事を、
知ったのである。
「たいした人生」
では、なかったけれど、
喜怒哀楽の日々の中、
誰かに、守られてきた実感がある。
一人暮らしの、
私のことを、気遣ってくれる人の、
優しい想念が、伝わってくる。