問題は動機

つい最近、

「昔、先生から言われた事で、

忘れられない言葉がある」

と言われて、「ドキッ!」

 

いらん事や、一言多く、

若気の至りもあって、

とんでもない事を、言う可能性はある。

 

幾多の試練を乗り越えて、

今は、社会的な位置づけもあり、

足元にも及ばない人物である。

 

アンラッキーな運命で、

両親、兄弟とも、うまくいかず、

結婚生活も、うまくいかず、

後を継いだ会社経営も、うまくいかず、

家族とも決裂、夫婦も離婚、

会社も倒産して、全てを失った、

と、聞いていた。

 

意を決して、

自分を開示された時に、

「それは、結果であって、

問題は、動機が大切」

と、生意気にも、助言したと言う。

 

振り返れば、

我欲からくる理由でなく、

生命と、倫理に、

基づいた原因であったと、確信し、

胸に支えていたものが、

下りたような気がしたと言う。

 

長い人生、

とんでもない失敗、

周りからの同意のない決断、

大切なものを追えなかった悔やみ、

 

「間違いなど、一度もない」

と言いきれる人はいない。

自分の中に、

押さえ込み、ひた隠す事なく、

テーブルに並べてみれば、

根幹が見えてくる。

 

背負う十字架は、

なるべく、軽いものであってほしい。

厳しい最後の頂上を、目指すには、

不要なものは、削ぎ落として、

身軽になって、登頂出来れば、

ありがたい話である。