真実を聴かせて

「Pearl Harbor」、

この美しい言葉を耳にするたびに、

少しの衒いもあり、

口にすることさえ、憚れる。

 

嫁ぎ先の義父は、

海軍の参謀であったと聞いている。

真珠湾攻撃」の生き証人である。

 

父の書斎には、

数々の難しい本が、所狭しと並び、

イギリスの家具が置かれていた。

 

お気に入りの、ロッキングチェアに、

ゆらゆらと、腰掛けて、

パイプの煙を燻らせながら、

静かに、読書をしている姿を思い出す。

 

明治生まれではあったが、

「イングリッシュ ブレックファースト」

「英国紳士」風の、ファッション、

ネイティブな英語、

本来なら、近寄りがたい人である。

 

義父の口から、一度も、

「戦争」の真実を語る事はなく、

何処までも、

嫁には優しい、穏やかなお爺さんであった。

 

義父が亡くなってから、

ネットで、父の名前を入力すると、

今でも、

海軍関連の父の記録が、出てくる。

 

敗戦直後の、私達の世代にとっては、

敢えて、

「日本の近代史」などは、伏せられ、

戦争の悲惨さに、触れる事はなかった。

 

1941年の今日未明、

真珠湾攻撃から始まった、

第二次世界大戦」に突入、

 

「お義父さん、真実を聴かせて」

と、真摯に向き合わなかった事を、

今では、後悔しているが、

 

父にとっては、

言葉にできないほどの、悲しみ、

戦争の当事者としての、苦しみ、

戦争は、終結はしていなかった事を、

今なら、

理解できる歳になったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで歯抜けのように、

真実は抜け落ちていた。

真珠湾攻撃から、

今日は、100年近くが経つ。