言葉は、知性と教養。

姿形も美しく、

才能にも恵まれた女性を、

「容姿端麗才色兼備」

という言葉があるが、

現代なら、差別用語になるのだろうか?

 

姿形を、取り上げて、

美しいとか、綺麗とかは、

差別用語になる可能性がある。

 

ならば、

男性に、「男らしい!」

女性に、「女らしい!」

も、微妙な言葉である。

 

明らかに、

「他者の人格」を、否定したり、

排除する様な差別用語は、

最近は、少なくなった様な気がする。

 

言語は、ほぼ相対になっており、

反対語にも、通じて、

「背が高いね」は、「背が低い」に、

「足細いね」は、「足太い」になる。

これも、どうなん?と、難しい。

 

無意識で、

使っていた言葉が、

誰かを、深く傷つけていたなら、

本来、言葉は言霊、

よーく、考え、気遣いながら、

丁寧に発しなければならない。

 

言葉にこそ、

知性と、教養が現れ、

発した本人の、人間性が問われるのである。