「大切なのは、友達よ!」
と、友人達はいう、
私は、「そうなんかなー?」
と、疑問である。
この歳になっても、
こっそり、悪口言ったり、
ボイコットしたり、
一見、仲良し風である。
私には、
幼稚園から大学までの友人は、
ほとんどいない。
よって、同窓会など、
未だかつて、行った事がないが、
人生に支障はない。
昔から、
「独り」が、好きで、
学校以外は、誰とも付き合わず、
自由な時間を過ごしてきた。
「孤立」しているわけではない。
「村八分」「ボイコット」「無視」
など、女の子にとっては、
つらいいじめも、
「独りぼっち」が好きな私には、
「いじめがい」がない。
今から考えれば、
本当はいじめに遭ってたけれど、
私が「いじめ」と、
受け止めなかったとしたら、
「たいしたタマ」である。
いじめのパターンは、
権力のあるボスがいて、
媚び、屁辛い、仲間になれば、
徳もあるし、矢も飛ばず。
いじめの縮図は、
どんな関係性にも、当てはまる。
親と子供、
上司と部下、
教師と生徒、
村の長と、住民、
「仲良く」付き合う、
「上手く」付き合う、
事が、出来ない人を、
「あの人、人間関係下手やから」
と、烙印を押す。
本当の人間関係論は、
「仲良く」「上手く」「得する」
とかではない、法則がある。
誰かを、
「生贄」にしたり、
「冤罪」をかけたり、
我欲のために、人を陥れる悪意は、
全ての人間の中に潜む本質である。
「大切な人」でもなく、
「出会う数」でもなく、
「たった一人」の人から、「大切な事」を、
学ぶことだってある。