目標ではなく目的を

「目的」は、成すべき到達点、

「目標」は、成すべきための手段、

である。

 

ある時代から、

テレビやネットで、中国の情報が、

よく報道される様になった。

 

いつのまにか、

世界のアメリカと、名実ともに

肩を並べる程の国となっていた。

 

三、四十年前、

国からの要望で、

主人は、技術講師として、

中国を、行き来していた事があった。

 

人々が、人民服を身にまとい、

奥地に行けば、山水画そのものの、

時代がタイムスリップした様な

遅れた貧しい国と聞いていた。

 

極寒の

お湯すら出ない場所にも出向し、

先進国としての使命を果たす為に、

日本は、中国に貢献した。

 

「ウサギとカメの物語」ではないが、

経済大国となり、

バブルに浮かれていたウサギを、

カメは、追い越し勝利した。

 

中国の壮大な「目的」は、

千年単位で、掲げられ、

その為の「目標」を、着々と進めてきた。

 

いまや、「目指せ日本」ではなく、

「世界の中国」を、邁進している。

この「どんでん返し」に、

今の日本は、

「未来の目的」すら、掲げてはいない。

その場しのぎの「目標」など、

いつの日か、息詰まる時代に遭遇する。

 

有り余るお金も、

手段として、通用しなくなる日が来る。

抑え込んでいた結界が、切断されれば、

一瞬で、

大国に飲み込まれてしまう。

 

ウイルスのパンデミックが、

世界の縮図を、変えることとなった。

中国の全ての国民は、

「目的」をエネルギーに変えてゆく。

 

「新資本主義」と言う「目標」を、

言う前に、

未来の子供達のために、

「何を目的」とするのかを、

提示しなければならない。